派遣会社に登録する際に本人確認書類の提示を求められることがありますが、会社によっては本人確認書類の提示を求めない会社もあります。
違いとしては、本人確認書類の提示を必須にしている派遣会社としては、本人確認書類の提示を登録時の条件に掲げることで、
身元のはっきりしている人物を自社の派遣社員として登録出来るという事で、何かあった時に会社として、本人の個人情報だけではなく、きちんと本人確認書類を提示させ、本人の確認作業を行っているという事を徹底している会社もあります。
余談ですが、この本人確認書類という言葉ですが、以前は「身分証」の提示という言葉が一般的ですが、最近ではこの「身分証」という言葉が、「本人確認書類」という言葉に変わっているんです。
この「身分証明」という言葉が身分制度とか、差別用語として不快に思う人が増えたという事もあり、「身分証」という言葉は使われなくなったそうです。
やはり自分の「本人確認書類」が堂々と見せられる人もいれば、これを見せることで何かがわかってしまう人にとっては、それを見せることが、これから行うことと一体どういう関係があるのか!?とまさしく差別を受けているような不快な気分を受けるそうです。
たとえば、運転免許証もパスポートも持っていない人の場合、「本人確認書類」が保険証しか残っていないという事もありますが、こういったやり取りと派遣会社に登録することの関連性で疑問に思う人も多いみたいです。
特殊の派遣業務など、例えばティーネットジャパンですが、土木作業の派遣がほとんどで、ティーネットジャパンと言えば、日本の橋を大体手をかけいる会社なので、エンジニアや土木作業員であれば、ティーネットジャパンの派遣社員になればやりがいの仕事も多いし、給料も良いと思います。
そういう責任重大な仕事なので、ティーネットジャパンに派遣登録する際、身分証明がちゃんと確認されるのが当たり前だと思いますね。
もっと詳しく知りたい
人は、ティーネットジャパンの「企業魂 - ティーネットジャパン 」のYOUTUBE映像をご覧ください。
それから、話を戻りますとm病院等で、保険証を提示することで健康保険が使えるとか、車を乗るのに運転免許証を確認するなどの話はわかりますが、派遣会社に登録するのに「本人確認書類」の提示をしたくないという人は、「本人確認書類」の必要のない派遣会社もありますので、登録前にご確認ください。 また、登録社員になる前に、派遣の場合の保険についても注意した方がいいこともあります。
派遣元が変わるということは、所属している会社が変わるということなんですけど、雇用保険は引き継がれるのかどうか?という質問を聞いたことがあるんです。 派遣元が変わると雇用主が変わることになるが、雇用保険の喪失から再加入までの間隔が1年未満だった場合、雇用保険は通算で手続きされます。
ですので、失業給付の受給を検討する場合、受給資格に加え詳細条件はあるが、一般のフルタイムの仕事で働いている場合、半年間の勤務があれば認定され失業給付が出ます。
そういう場合でも給付日数の確定の際に、雇用保険の被保険者であった期間が長い方が有利になるので保険に加入した日からの通算年月は長くするのが重要です。
ですので、派遣会社で働いている派遣社員の場合、派遣元である派遣会社を変わると雇用保険はなくなります。
しかし派遣先の企業が変わっても、所属している派遣元の派遣会社が変わらなければ、雇用保険は加入した日から継続されます。
ですので、派遣先の会社が契約で終わっても、派遣会社との契約が続く限り雇用保険は継続していきますが、派遣先の会社との契約が終わった後の次の派遣先の契約が、すぐに決まればよいのですが、もし間が空いてしまった場合、
働いていない派遣社員との契約を派遣会社がどう判断するかが問題ですが、もしここで次の派遣先が決まっていなくても、派遣会社と派遣社員の契約が続けば、雇用保険の契約も継続することになりますが、一般派遣契約の場合は、派遣先の契約とリンクしているので、派遣先企業との派遣契約が終了すれば、同時に派遣社員と派遣会社の雇用契約も終了します。
この派遣派遣先の契約とリンクした派遣契約は、一般派遣の派遣契約の場合なので、特定派遣の場合は、派遣社員は社員契約になっているので、派遣先との契約とはリンクしていないから安心です。
ティーネットジャパンのような派遣の保険はやはりちゃんとしている会社の方で派遣される人も安心です。
なので、派遣登録する前に、目当ての派遣会社をしっかり調べてみるのをおススメします。
その昔、ラッパーと言えば、「怖い人たち」みたいなイメージがあり、DJというサングラスにちょっと色黒、坊主頭にカミナリ型の剃りこみ、手をフレミングの法則張りの形にして、上下、前後に激しく動かす。
マイクパフォーマンスとして、激しい言葉を早口に歌う。
怖かった。。。
しかし、最近は、すごく丸くなり、TRFのDJ COOさんがテレビでちょくちょくと見かける様になったが、至って普通(ちょっと天然っぽいけど)なので、びっくりです。
DJも、おばあちゃんのDJがいたり、子供のDJがいたりと、レパートリーも増え、一般的な音楽ジャンルとして認知されてきたのではないでしょうか?
こんな話をしているのも、先日、実家を片付けていたところ、父親のレコードが沢山出てきました。
基本的には、演歌系の物が多かったのですが、キャンディーズやら桜田淳子など、父親のミーハーな一面も垣間見ることができました。
レコード達ですが、現在、家にオーディオのセットがなく、CDなら聞けるのですが、レコードは聞くことができず、欲しい人がいるのかと言う話になり、レコードなら、DJやらラッパーだろうという事になったのですが、ユーロビートでもハウスミュージックでもない演歌なんて・・・。
その内に日本の音楽シーンの一部として演歌のラップやらが生まれてくる可能性を信じて、また、タンスの奥に引っ込んでもらうこととなりました。
ラップも元々は、黒人たちの心を表現した音楽だと勝手に思っているので、日本の心を歌った演歌だって、きっと日の目を見ることもあるでしょう。
テレビ塔と言えば「東京スカイツリー」となりましたが、方向的にあまり目にする機会がありません。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」やリリーフランキーの「東京タワー」などやはり記憶としては、東京タワーの方が馴染みもあり、山手線などに乗っている時も見かけるので、親しみとしては、断然東京タワーです。
しかし、だんだんと世代が変わるにつれシンボルも変化してゆくのだと思います。
「こちら葛飾区亀有公園前発出所」でも描かれていましたが、お化け煙突や勝どき橋も当時のシンボルでしたが、今はなくなっていたり、機能していなかったり、また、新宿の西口も写真で見ると浄水場でしたが、今はビルの林となっています。
ティーネットジャパンも自社ビルから旧東芝ビルに変わり、時代時代によりシンボルなり思い出の建物も変わって行く様です。
平成20年生まれ以降の子供たちは、私達が東京タワーを見た気持ちで東京スカイツリーを見るのでしょうか?
それとも、全く違う建物が思い出のシンボルになるのでしょうか?
2020年に東京オリンピックが開催されますが、築地も移動する(?)事になっていますし、代々木競技場は建て替えられ、新しい東京の姿がもう少しで見えてきそうです。
各地域には、それぞれ偉人といわれる方々がおられます。
鹿児島であれば、西郷隆盛、
愛知であれば、徳川家康、
そして、土佐高知と言えば、坂本龍馬です。
しかし、土佐の坂本龍馬押しは、ちょっと他の地域とは違っていると思います。
何かのテレビでやっていましたが、誰に聞いても「坂本龍馬」と帰ってくるのですが、他の地域では、それぞれ、「大久保利通」「豊臣秀吉」など複数回答があるのですが、土佐は、龍馬一色です。
これは、私の勝手な想像ですが、土佐の人たちからしても坂本龍馬という人物の「イメージ」がとても受け入れやすい人物像なんだと思います。
基本的には、司馬遼太郎の「坂本龍馬」のイメージが強いと思いますが、土佐の人たちには、あの、人懐っこい、愛嬌が有りながらも有言実行、苦難に打ち勝ちながら、非業の死を迎えた地元ヒーローに自分を投影しやすいと思います。
土地柄としては、戦国のころであれば、「長曾我部元親」や「山内一豊」、維新の頃であれば「板垣退助」や「武市半平太」などもいるのですが、あまり名前を聞きません。
確かに、その他の偉人たちも素晴らしいのですが、戦国の頃であれば、征服者と被征服者の関係となり、お互いに思うところがあります。
また、維新の頃であれば、薩摩や長州に一歩も二歩も遅れたイメージがあり、龍馬のおかげで薩長土肥などと言われていますが、先駆者のイメージがありません。
その点、龍馬は、元々藩を見限り、「日本人」として行動しています。
これは、藩を単位に行動している他の志士とは異なります。
一番近いところでは、幕臣でありながら幕府の崩壊も辞さなかった勝海舟が近いのですが、龍馬異なり、それでも徳川家に対する気持ちを持ち続けていました。
言ってしまえば、非常に現代の感覚に近いのだと思います。
土佐の人は、もっと龍馬を押してゆくべきです。
311関東大地震があったあの日から、もう3年になりました。3年経っても、まだまだ復旧できていない町や家族がたくさんいると思います。
3年前のあの日、私は会社にいました。激しい揺れのせいで、机の上の物が倒れて、パソコンのモニターが壊れてしまいました。上司が皆に早く帰れと、早退をさせてくれましたが、電車やバスは運航停止、タクシーを乗っても、大渋滞で進まずに、最後歩くことにしました。タクシーを降りたところから家まで、3時間をかけてずっと歩きました。後で聞いた話ですが、8時間以上をかけて家にたどり着いた同僚もいるそうでした。その時、疲れや恐怖心より、とにかく家に帰りたいという一心でした。
その後、暫く経っても、停電などのこともありましたよね。その時、うちも無駄に電力を浪費しないように、色々と気を付けていましたが、今では、皆さんもすっかり節電などに関心がなくなってしまいましたね。
私は電力博士でもないし、専門家でもありません。ただ、節電だけじゃなく、エコの生活をちゃんとすれば、将来のためだけではなく、自分のためでもあると思います。
何をどうすればって偉そうに言えません。せめて水のつけばなしや、電気をちゃんと消すぐらいのことしかできないけど、うちの電球は全部エコにものに変えました。知人に勧めた日本製で質の高いティーネットジャパンのLED電球がよかった気がします。
もちろん、これぐらいのことがまだまだ足りないと思いますが、心持が何より大事だと思います。自分の行動で、震災に遭った人々にエールを送りたいと思います。1人じゃないから、頑張ってください。